自叙伝 Rubare la vita agli altri

 

■Rubare la vita agli altriは初の自叙伝

ミケーレは2013年3月に自身初の本を出版しました。
タイトルは"Rubare la vita agli altri"、直訳すると「他人の人生を盗む」となるのでしょうか。
プー リア州、ターラントで生まれ育ったミケーレは、
10代初めの頃からターラントを出たくて仕方なく、
何故ならターラントが公害の街として知られ (自身も「悪名高きこの地」と記しています)、
このままこの地にとどまっていると人生に何も変化を起こせないと思っていました。
祖父や父親と 同じ道を歩むことを約束されていて、まるで人生の選択肢がない、
そう強く感じていた少年・青年時代。
この街からいつかは脱出したい、そのためにはどうすればいいのか。
模索している頃に行動を常に共にする友人3人と出会い、
音楽、詩、本に没頭していき、表現する楽しさを知り、
少しずつ自分の将来や方向性を思い描き始めました。
「俳優になりたい」小さい子供が「宇宙飛行士になりたい」と思うのと同じ位、
当時のミケーレの周辺ではあまりにも夢のような絵空事だったようです。

大学進学を強く望み、当然行ってくれるものだと思っていた父親と、
大学へ行く意味を全く見いだせないミケーレ。
正直な気持ちを言えない言い出せないミケーレが学校の三者面談後、
やっとの思いで告げた「演劇学校へ行かせてほしい」との言葉に
父親は当惑しあきれ果てたようです。
なんとか説得し、受験する為の勉強や準備に協力してくれた両親。
そしてシルヴィオ・ダミーコ国立演劇芸術アカデミーへの入学が叶い、
故郷ターラントからローマへの旅立ち、大都会ローマでの学生生活、
卒業後に設立した劇団、テレビや映画、舞台へ想いを172ページ、
1章から44章に構成されたこの本に詳細に記しています。


■出身地ターラント

ミケーレのインタビューや記事などには必ずと言っていいほど「ターラント出身の」と 
言われたり書かれたりしています。
イタリアは地方差、地域差が日本とは比べ物にならないくらい強いのでしょうが、
とにかく枕言葉のように言われる「ターラント」はイタリアの南、
最南端と言っていいくらいの場所です。
ターラント市のあるプーリア州はオリーブオイルなどでも有名ですが、
このターラントは製鉄所、石油精製工場、化学工場、造船所(戦艦)、
食品加工工場等がある南イタリアでは3番目に大きい都市(一位はナポリ)、
南北イタリアの格差を縮小するために1950年代から60年代に、
このターラントに重工業の企業を誘致したり設立したりして、
南イタリアの経済向上に貢献した街のようです。
その際に北イタリアからターラントに移り住み労働者として
それぞれの企業に従事した人達も少なからずいたようです。
(ミケーレの祖父もその中の一人)
近年では、公害、景気の後退から街の荒廃が進み、
行政に対する不満と諦めなどから街自体が自立できない、
自浄できないのではないかと危機感を持っている人たちもいるようです。
ミケーレも荒廃していく故郷に自立の道を、
と言う思いで毎年夏に音楽やアートのイベントを催して自らも積極的に発信して、
問題提起を行っています。


■イタリア語の高い高い高い壁
自動翻訳と辞書で何とか凌いでいますが、ご本人が詩が大好きなためか
詩的な描写も多く、」イタリア語が分からない私にはかなり無謀な賭けともいえる
作業になっていますが、知りたい!欲求で100ページまで突進みました。
最終ページまで到達しましたら、あらためてこの本についてお伝えしたいと思います。
そして、出版当時33歳のまだ若い俳優が何故この自叙伝を出版したかったのか・・・
その理由も見えてくるといいなと思っています。
※2015年1月に何とか172ページ全て完了いたしました!