10代の頃

■小さい頃

ミケーレの自叙伝Rubare la vita agli altriの中で、
両親と小さい頃について少し語っています。
ご両親は幼馴染で、ご近所、昔からの知り合いだったみたいです。
ミケーレの父親(名前は公表していない)は、若い頃はギターを弾いて
歌を歌うのが大好きな青年でおしゃれにも気を遣う人気者だったそうです。
ミケーレの母親はミケーレの父親より2歳年上。
2人とも二十歳前後で結婚しています。若い夫婦ですね。
結婚して2年後にミケーレが誕生し、その後年の離れた弟達(5歳違い、10歳違い)も
誕生し、専業主婦だった母親はミケーレを含め3人の男の子を育てました。

隔週日曜日は祖父母のお家で夕食を食べていたみたいで、
リゾットが好きだと祖母に告げたら沢山作ってくれて食べるののが大変だったとか、
祖父(恐らく母方)の名前もミケーレだったとか、
年の離れた弟達(5歳違い、10歳違い)とはあまり遊んだ記憶がないと。

■高校卒業までの10代の頃

そして、10代の頃のミケーレの髪の色は今よりもっと明るい色で金髪に近い色だったとか。
高校生時代はその髪を伸ばし、三つ編みにして、丸い眼鏡をかけていたので、
よく女子に間違えられたとも。実際に自分に似た女子を見かけて驚いたらしいです。
ボーイスカウトに所属していたようですが、キャンプ中にある事件(イタズラ)を起こして、
友人共々退団させられたそうです。

高校時代は学校の友人達3人と常に行動を共にしていて、
詩を読み、書いて、それに曲をつけ、ギターを弾き、バンドを結成し、音楽に没頭し
地元のコンテストで遂に優勝。ミケーレの中ではそこが到達点だったようです。
街で開催された演劇のワークショップに参加し、演劇に触れる機会を得て
演劇や表現者になる夢を持ったみたいです。
しかし、劇場に行って演劇を見たこともない、演劇の本格的なレッスンも受けたことが無く
途方もない夢と思い、それを例えるならまるで小さな子供が抱くありふれた夢の代表、
「宇宙飛行士になりたい」と同じレベルだったと。

大学に進学して研究職または弁護士に就いてくれると勝手に期待していた父親、
大学に進学する意味を見いだせない息子、だがとても言い出せない。
演劇学校を受験したいと告げる勇気もなく、時だけが過ぎていよいよ進路相談の
3者面談の日に「大学へも行かない、就職もしない」と言ってしまい、父親を慌てさせ、
帰りの車の中でやっと「演劇学校を受験したい」と告げることができたそうです。
父親も納得し、協力してくれて受験に必要な様々な用意をしてくれたとか。

ミケーレは故郷ターラントの夕焼けがとても好きらしく思い出に強く残っているそうです。
学校帰り、夕陽のピンク色が工場の煙突を染めていう様子を見ながら、
時には歌を歌いながら家路へついたようです。
ターラントの夕陽はとても美しく、今でもその独特のピンク色が忘れられないとも。
そして、その工場の煙突から出る煙は水蒸気だから安心・安全だ、と言われ続けていた、
など、小さい頃と10代の思い出が最初の章でわりと割かれています。