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3月14日はミケーレの37回目のお誕生日Buon Compleanno!

ツイッターではお誕生日カウントダウンと称して、
3月1日から14日までをミケーレの映画主演作を年代順に追っていきました。
過去作品をあらためて見てみると、2010年以降映画出演も増え、
特にヤング・モンタルバーノ主演後は
映画&ドラマそして舞台の出演作・主演作が目白押しとなり、
イタリアの中でも多忙な俳優の一人になったのではないでしょうか。

今後もパターン化されず、様々な役を演じてファンをたのしませていただきたい!
とひっそりながら強く願うのであります。

一日遅れとはなりましたが、
Buon Compleanno!お誕生日おめでとうございます。
因みに・・・
1段目左からACCIAIO(2012)、Maraviglioso Boccaccio(2015)、Il giovane favoloso(2014)
2段目左からBella Addormentata(2012)、Gli Sfiorati(2011)、QUALCHE NUVOLA(2011)
3段目左からNoi credevamo(2010)、DIECI INVERNI(2009)、FORTAPÀSC(2009)

ターラントでのショートフィルム上映イベント

ミケーレは8月27日に故郷ターラントの演劇集団teatrocrestの
招きでショートフィルム上映会イベントに参加しました。
teatrocrestが運営する研究室が制作したショートフィルム“In viaggio con Janet”の
上映に先立ち、演劇や映像についての対談を行ったようです。

teatrocrestは1977年にターラントで誕生した演劇集団です。
ターラントという街の環境では文化が育ちにくいのでしょうか。
演劇や朗読を通して街に文化的な土壌を作ろうとしているようです。
そして、ミケーレ自身も高校生の時にteatrocrestが主催するワークショップに参加し、
俳優へなる決心を固めたようです。
ミケーレは人生の選択肢が少ないターラントを出たくて仕方なく、
高校生の時は音楽と本、詩を書くことが何よりも救いだったと自著でも記しています。

ここ数年は故郷ターラントの再生を願う活動を行っていますが、
そんな活動の原動力となっているのが、演劇に出会った自身のバックグラウンドとも
照らし合わせているのではないかと思います。

参考:
teatrocrest HP
teatrocrestのフェイスブック

ショートフィルム上映前の対談と上映後



画像:Atelier Film Maker Statte

「髪をすっかり変えてしまいたい。刈り上げたい」とGQイタリア版7月号の
インタビューで言っていましたのでその通りになっていますね。
暫くは撮影が無いのでしょう。

GQイタリア版の表紙!

GQイタリア版7月号の表紙になりました。
今までもGQなどのファッション誌にも何度か登場していましたが、
表紙になるとは嬉しい限りです。

電子版はiPadをお持ちでしたら購入可能です。⇒GQイタリア
紙の雑誌版は日本にはまだ入荷していないようです。
本国の発売日から約1か月遅れで入荷するようですね。

そして表紙だけではなく、インタビュー記事も掲載されています。
舞台EURIDICE E ORFEOの脚本家であり作家・戯曲家のValeria Parrellaさんによる
インタビューが掲載されています。
故郷ターラントの環境問題の活動、映画やドラマのプロモ等では多弁なミケーレですが、
私生活に関してはあまり語らないようですが、Valeria Parrellaさんがそんな彼から
俳優としての顔と一児の父である私生活も聞いているようです。

「最高の俳優の一人となるために、ミケーレは他人のIDを着用し続けます、
そして、彼は最高の作家の一人に告白します」(ざっくりな訳ですみません…)という
冒頭から始まるインタビュー。
舞台の為にナポリに単身滞在していたミケーレ、舞台の役柄と同じ“やもめ”状態の彼に
Valeria Parrellaさんがパートナー、家族について聞いています。
写真も魅力的な写真が掲載されていて、今のミケーレを知るにはとてもいい材料に
なると思います。紙版の雑誌も早く入手し、ざっくりながらもしっかり読みたいです。
詳細は紙版入手後、着手したいと思います。


写真家Paolo Santambrogioさんのインスタグラムより

10代の頃

■小さい頃

ミケーレの自叙伝Rubare la vita agli altriの中で、
両親と小さい頃について少し語っています。
ご両親は幼馴染で、ご近所、昔からの知り合いだったみたいです。
ミケーレの父親(名前は公表していない)は、若い頃はギターを弾いて
歌を歌うのが大好きな青年でおしゃれにも気を遣う人気者だったそうです。
ミケーレの母親はミケーレの父親より2歳年上。
2人とも二十歳前後で結婚しています。若い夫婦ですね。
結婚して2年後にミケーレが誕生し、その後年の離れた弟達(5歳違い、10歳違い)も
誕生し、専業主婦だった母親はミケーレを含め3人の男の子を育てました。

隔週日曜日は祖父母のお家で夕食を食べていたみたいで、
リゾットが好きだと祖母に告げたら沢山作ってくれて食べるののが大変だったとか、
祖父(恐らく母方)の名前もミケーレだったとか、
年の離れた弟達(5歳違い、10歳違い)とはあまり遊んだ記憶がないと。

■高校卒業までの10代の頃

そして、10代の頃のミケーレの髪の色は今よりもっと明るい色で金髪に近い色だったとか。
高校生時代はその髪を伸ばし、三つ編みにして、丸い眼鏡をかけていたので、
よく女子に間違えられたとも。実際に自分に似た女子を見かけて驚いたらしいです。
ボーイスカウトに所属していたようですが、キャンプ中にある事件(イタズラ)を起こして、
友人共々退団させられたそうです。

高校時代は学校の友人達3人と常に行動を共にしていて、
詩を読み、書いて、それに曲をつけ、ギターを弾き、バンドを結成し、音楽に没頭し
地元のコンテストで遂に優勝。ミケーレの中ではそこが到達点だったようです。
街で開催された演劇のワークショップに参加し、演劇に触れる機会を得て
演劇や表現者になる夢を持ったみたいです。
しかし、劇場に行って演劇を見たこともない、演劇の本格的なレッスンも受けたことが無く
途方もない夢と思い、それを例えるならまるで小さな子供が抱くありふれた夢の代表、
「宇宙飛行士になりたい」と同じレベルだったと。

大学に進学して研究職または弁護士に就いてくれると勝手に期待していた父親、
大学に進学する意味を見いだせない息子、だがとても言い出せない。
演劇学校を受験したいと告げる勇気もなく、時だけが過ぎていよいよ進路相談の
3者面談の日に「大学へも行かない、就職もしない」と言ってしまい、父親を慌てさせ、
帰りの車の中でやっと「演劇学校を受験したい」と告げることができたそうです。
父親も納得し、協力してくれて受験に必要な様々な用意をしてくれたとか。

ミケーレは故郷ターラントの夕焼けがとても好きらしく思い出に強く残っているそうです。
学校帰り、夕陽のピンク色が工場の煙突を染めていう様子を見ながら、
時には歌を歌いながら家路へついたようです。
ターラントの夕陽はとても美しく、今でもその独特のピンク色が忘れられないとも。
そして、その工場の煙突から出る煙は水蒸気だから安心・安全だ、と言われ続けていた、
など、小さい頃と10代の思い出が最初の章でわりと割かれています。




ワークショップ

3月17日にローマの IL TEATRO DEL RAMMENDOで、
ミケーレは演劇・劇場についてのワークショップにゲストとして参加しました。
私のイタリア語能力では残念ながら何を語っているのかは、
解りかねますが、役者の技術・スキル、映像と演劇などについて語ったようです。
先月のゲストはエリオ・ジョルマーノでした。

演劇からキャリアをスタートしたので、彼の著書をみていても、

劇場、演劇に対する熱意は大変大きいようで、最近のインタビューでも、
2年ほど映像中心だったけれどそろそろ舞台に立ちたいと答えていました。
いつかご本人の舞台を見るのが夢です。

「ヤング・モンタルバーノ」の撮影もまだ残っているのでしょうか。

シチリアのロケは終了し、ローマのスタジオで少し撮影も行っているようですので、
サルヴォのイメージも残っているのが印象的です。

因みに IL TEATRO DEL RAMMENDOのRammendoとは補修、繕うという意味です。

修復の劇場?養成所と思っていいのでしょうか。
また調べてみる項目が増えました・・・

以下画像全てArteStudioのFBより
MICHELE RIONDINO al progetto IL TEATRO DEL RAMMENDOより

お誕生日

今日3月14日はミケーレ・リオンディーノさんのお誕生日です。
36歳、おめでとうございます。
これからますますのご活躍を!と願うばかりです。

星座は異なりますが私も同じ3月生まれ、そんな共通に小さな喜びを感じています。

昨年の夏8月から未知の世界に一歩足を踏み入れ、一気に走ってきました。
ミケーレ・リオンディーノさんの活躍を今後も楽しみにしていきたいと思います。

そして、このブログを始めたのが昨年の12月14日、今日で丁度4か月。
恐る恐るひっそり始めたブログではありますが、
楽しむためにも細々マイペースで継続できれば、と思います。

何卒よろしくお願いいたします。




若かりし日


■20代中頃のミケーレ

2004年に出演していた番組のミケーレです。
この当時、25歳!若いです。
情報番組のようで、子供の教育プログラムに関わる方をゲストに招き、
身近な材料で様々な遊び道具を造ろう!という内容で、
あらかじめ作成した遊び道具をスタジオのミケーレを含む出演者達が
実演をしてみせる、と言う内容です。
この番組の中のミケーレは、少年のまま!です。
番組の中でそういう役割を担っていたのか、
本人の性格のそのままなのかは分かりません。
しかし、他の出演者と比べるとコドモっぽい言動が目立ちます(笑)
エンディングでは何かを発言したあと出演者の女性から頭を撫でられる・・・
と言うシーンがありと、出演者の中では弟的な役割だったのでしょうか。
いずれにせよ、ミケーレの天真爛漫な少年時代を窺い知るようで楽しめました。


演劇集団circo bordeaux

2004年辺りのミケーレは主に舞台、そしてドラマや映画にも出演し始めた頃です。
シルヴィオ・ダミーコ国立演劇芸術アカデミーの同級生達と一緒に1999年に
起ち上げた演劇集団circo bordeauxの活動もこの頃はボチボチ軌道に乗り始めた
頃だったようですが、ただ演劇だけでは生活はできないので、
例に漏れずウエイターのアルバイト等もしながら演劇活動を行っていたようです。
circo bordeauxはミケーレにとってかけがえのない存在だったようで、
シルヴィオ・ダミーコ国立演劇芸術アカデミーで学んだ演劇を覆したい、
規定通りの演劇ではなく新しく自由な表現を、と言う事で学生同志で立ち上げたようです。
2004年の少し後にお昼のメロドラマ(ソープオペラ)に主役のオファーがあり、
当時のミケーレには十分なギャラを提示され、家賃や活動の助けになるかと
思ったようですが、結局断りそのまま主に舞台の活動を続けていたようです。
circo bordeauxについてはまた次回お伝えしたいと思います。

■髪の色

「子供の頃もローマに出てきた頃も今よりもっと髪の色が明るくて金髪に近い色だった。」
年齢と共に髪の色が濃くなっていったそうです。
ミケーレの自著"Rubare la vita agli altri"に記載されていたその内容を、
「えー?」と疑う訳ではなく少々疑って(笑)いましたが、
この2004年当時の姿を見るとあながちウソ(笑)ではなかったのでは?
と思う色でした。染めている?のかもしれませんが、
んー?でも案外20代の前半は名残があったのかもしれませんね。







IO NON HO PAURA


■IO NON HO PAULAあらすじ

1978年、10歳のミケーレは南イタリアに住む少年。ある日廃屋の裏に隠し穴を見つけ、
その中に鎖につながれた痩せ細った少年フィリッポを発見する。
あまりのショックにミケーレは誰にも打ち明けられずにいたが 、
その少年フィリッポの事が気になり、何度も少年を見に行くようになる。
そしてその姿に見かねたミケーレは食料などを渡すようになり、
2人の少年の間に友情が芽生え始める。
そんな中、少年ミケーレの周辺の大人たちの間では不穏な空気が流れ始める。
そしてテレビのニューズで繋がれているフィリッポがある事件に巻き込まれている事を
ミケーレは知るのである。

■オーディオブック出演

ミケーレは2013年にIO NON HO PAURAと言うニコロ・アンマニーティ
2001年出版の小説のオーディオブックに出演しました。
このIO NON HO PAURAは「ぼくは怖くない」という邦題で早川書房から
原作の翻訳版が出版されています。
そして、2003年にはガブリエレ・サルヴァトレス監督により映画化されている人気の作品です。
(残念ながら未見なので、是非観てみたいと思います)
この作品の内容は1970年代に実際にイタリア国内で発生した
「幼児誘拐」を題材にしているとの事。
少年の心の成長を描く一方、南北の格差からくる幼児誘拐を絡めミステリー風な
作品でもあると思います。
この「ぼくは怖くない」主人公の名前は奇しくもミケーレです。
そして背景はミケーレが生まれる一年前の1978年、ミケーレの出身地南イタリアが舞台、
というのも何だかこのオーディオブックを聞く楽しみにもなります。
好きなイギリス人俳優が出演しているオーディオブックは何度か購入したことはあるのですが、
イタリア語のオーディオブックの購入は今回初めてでした。
内容を理解する、というレベルではなく、イタリア語を音として楽しむ程度ですが、
内容は翻訳本を読みながら理解して行こうと思います。
ミケーレの声質が少し高いので、子供の役も思ったよりスムーズに耳に馴染んできますし、
一人で何役も演じる声だけの演技は新鮮です。

原作:ニコロ・アンマニーティ
監督:Flavia Gentili

出演:ミケーレ・リオンディーノ 
時間:5時間42分
制作:2013年10月

作品の詳細と録音風景やインタビューがオーディオブック出版社emonsaudiolibri.itに載っています。

自叙伝 Rubare la vita agli altri

 

■Rubare la vita agli altriは初の自叙伝

ミケーレは2013年3月に自身初の本を出版しました。
タイトルは"Rubare la vita agli altri"、直訳すると「他人の人生を盗む」となるのでしょうか。
プー リア州、ターラントで生まれ育ったミケーレは、
10代初めの頃からターラントを出たくて仕方なく、
何故ならターラントが公害の街として知られ (自身も「悪名高きこの地」と記しています)、
このままこの地にとどまっていると人生に何も変化を起こせないと思っていました。
祖父や父親と 同じ道を歩むことを約束されていて、まるで人生の選択肢がない、
そう強く感じていた少年・青年時代。
この街からいつかは脱出したい、そのためにはどうすればいいのか。
模索している頃に行動を常に共にする友人3人と出会い、
音楽、詩、本に没頭していき、表現する楽しさを知り、
少しずつ自分の将来や方向性を思い描き始めました。
「俳優になりたい」小さい子供が「宇宙飛行士になりたい」と思うのと同じ位、
当時のミケーレの周辺ではあまりにも夢のような絵空事だったようです。

大学進学を強く望み、当然行ってくれるものだと思っていた父親と、
大学へ行く意味を全く見いだせないミケーレ。
正直な気持ちを言えない言い出せないミケーレが学校の三者面談後、
やっとの思いで告げた「演劇学校へ行かせてほしい」との言葉に
父親は当惑しあきれ果てたようです。
なんとか説得し、受験する為の勉強や準備に協力してくれた両親。
そしてシルヴィオ・ダミーコ国立演劇芸術アカデミーへの入学が叶い、
故郷ターラントからローマへの旅立ち、大都会ローマでの学生生活、
卒業後に設立した劇団、テレビや映画、舞台へ想いを172ページ、
1章から44章に構成されたこの本に詳細に記しています。


■出身地ターラント

ミケーレのインタビューや記事などには必ずと言っていいほど「ターラント出身の」と 
言われたり書かれたりしています。
イタリアは地方差、地域差が日本とは比べ物にならないくらい強いのでしょうが、
とにかく枕言葉のように言われる「ターラント」はイタリアの南、
最南端と言っていいくらいの場所です。
ターラント市のあるプーリア州はオリーブオイルなどでも有名ですが、
このターラントは製鉄所、石油精製工場、化学工場、造船所(戦艦)、
食品加工工場等がある南イタリアでは3番目に大きい都市(一位はナポリ)、
南北イタリアの格差を縮小するために1950年代から60年代に、
このターラントに重工業の企業を誘致したり設立したりして、
南イタリアの経済向上に貢献した街のようです。
その際に北イタリアからターラントに移り住み労働者として
それぞれの企業に従事した人達も少なからずいたようです。
(ミケーレの祖父もその中の一人)
近年では、公害、景気の後退から街の荒廃が進み、
行政に対する不満と諦めなどから街自体が自立できない、
自浄できないのではないかと危機感を持っている人たちもいるようです。
ミケーレも荒廃していく故郷に自立の道を、
と言う思いで毎年夏に音楽やアートのイベントを催して自らも積極的に発信して、
問題提起を行っています。


■イタリア語の高い高い高い壁
自動翻訳と辞書で何とか凌いでいますが、ご本人が詩が大好きなためか
詩的な描写も多く、」イタリア語が分からない私にはかなり無謀な賭けともいえる
作業になっていますが、知りたい!欲求で100ページまで突進みました。
最終ページまで到達しましたら、あらためてこの本についてお伝えしたいと思います。
そして、出版当時33歳のまだ若い俳優が何故この自叙伝を出版したかったのか・・・
その理由も見えてくるといいなと思っています。
※2015年1月に何とか172ページ全て完了いたしました!